7.6 近似原子軌道 − STO

 ここでは,原子の一電子波動関数(原子軌道)の近似関数として広く用いられている Slater(スレーター)型原子軌道(Slater-Type Orbital = STO)について述べる。量子化学計算の対象の多くは分子であり,後で述べるように分子の一電子波動関数(分子軌道)は原子軌道の一次結合で近似する。一般に分子の計算では,計算量を少なくするため,原子軌道に含まれる原子ごとのパラメータ(例えばこの節で述べる Slater exponent)を分子を変えるたびに変分法で最適化することはせず,固定値を用いることが多い。

 Hartree 方程式

(7.6.1)

の Hamiltonian のポテンシャル項

(7.6.2)

は本来球対称(電子 i の距離 ri のみに依存)ではないが,問題を簡単にするため球対称とおいてみる。そうすると,(7.6.1) は

(7.6.3)

となり,水素類似原子の場合と同じように変数分離が可能になる(5.3 節参照)。

(7.6.4)

 (7.6.4) の中の球面調和関数 Y(θi,φi) は水素類似原子の場合と同じであるが,動径分布関数 R(ri) は Vi(ri) がクーロンポテンシャル型ではないため,正確な解が求められない。

 Slater は R を水素類似原子の場合と類似した関数で近似することを提案した。すなわち,水素類似原子の R

(7.6.5)

で表されるが(c は規格化定数),この中の Laguerre の多項式 r の最高次数(nl − 1 次)の項のみに置き換えて,改めて規格化を行うようにする。

(7.6.6)

 さらに,(7.6.5) の中に現れる主量子数 n と核電荷 Z を,それぞれ有効主量子数 n*,有効核電荷 Z* に置き換え,Slater exponent を (7.6.7) のように定義する。

(7.6.7)

 以上の操作を行うと,Slater の R は次の (7.6.8) の形になる(c' は規格化定数)。

(7.6.8)

(7.6.8) からわかるように,RSlater は方位量子数 l には依存せず,有効主量子数 n* のみに依存している。

 Slater は実験値などをもとに,有効主量子数 n*,有効核電荷 Z* を次のように定めた(Slater’s rule)。

(1) n* は次表によって定める。

n 1 2 3 4 5 6
n* 1 2 3 3.7 4.0 4.2

(2) Z* = Zs とし,s(しゃへい定数とよぶ)は次の手順で定める。

  • まず,電子を次の群に分ける。

    1s / 2s, 2p / 3s, 3p / 3d / 4s, 4p / 4d / 4f / 5s, 5p / 5d / 5f / …
    ns と np は同じ群,nd,nf は別々の群とする。

  • 同じ群の電子からは1個につき 0.35 の寄与を受ける。ただし,1s の場合のみ 0.30 の寄与とする。

  • 異なる群の電子からの寄与は次のとおりになる。

    着目している電子が属する群より外側の群からの寄与はなし。

    着目している電子が s, p 群の場合,n が1だけ小さい電子からの寄与は各 0.85,さらに内側の電子からの寄与は各 1.00

    着目している電子が d 群または f 群の場合,内側の電子からの寄与はすべて 1.00

 1s 軌道(n* = 1)を例にとると,水素原子では ζ = 1,炭素原子では Z* = Zs = 6 − 0.30 = 5.70 なので ζ = 5.70 と計算される(7.7 節末尾の表参照)。

 n* が 1〜3 のとき,RSlater について規格化を行うと,一般式は

(7.6.9)

となる。具体的な関数の形は以下のとおりである。



(7.6.10)

 Slaterの R の形は有効主量子数 n* のみに依存し,n*nZ*Z の置き換えを行うと,(7.6.10) の関数の形は,それぞれ水素類似原子の R1sR2pR3d の形に等しいことがわかる(5.5 節参照)。

 球面調和関数 Y は水素類似原子と共通なので,Slater 型波動関数(Slater 型原子軌道 = STO)の外形は水素類似原子の波動関数と同じである(5.7 節参照)。下の表では,r を原子単位(長さの単位を a0 とする → ζ / a0ζ と置くのに等しい)で表し,主量子数 n,方位量子数 l が共通のグループ内で異なる部分を赤字で示している。

n l |m| ψSTO
1 0 0 1s
2 0 0 2s
2 1 0 2pz
1 2px
2py
3 0 0 3s
3 1 0 3pz
1 3px
3py
3 2 0 3dz2
1 3dxz
3dyz
2 3dx2-y2
3dxy

Revised: 2007-08-03

Laguerre の多項式 の具体的な式は 5.3 節を参照。Laguerre の多項式の最高次数の項は一般に
 
である。