CH3+ の分子軌道の構築

CH3+ の分子軌道(PM3 法により C2v 対称として計算)

※マウスドラッグで自由回転

CH3+ は特に対称性に制限を加えずに構造最適化すると,D3h 対称構造(平面形)に収束する。考えやすくするため,以下の (A)(C) のステップでは対称性による制限が緩い C2v 対称として考えることにする。

(A) 2つの水素の 1s 軌道の相互作用によって,それらの対称性軌道と反対称性軌道ができる。

(B) 3つめの水素の 1s 軌道は (A) の対称性軌道とのみ相互作用し,2つの新しい軌道ができる。(A) の反対称性軌道 φ3 と3つめの 1s 軌道の間の重なりはゼロなので相互作用なし。

*1 D3h 対称構造では,(A) の反対称性軌道 φ3 のエネルギー準位と (B) でできた反対称性軌道 φ4 のエネルギー準位は同じになる(縮重している)。

(C) 中心炭素の 2s 軌道は,(B) の対称性軌道とのみ有効な重なりをもち,2つの新しい軌道 φ1φ2 ができる。

(D) 最後に,4つの s 軌道の組み合わせでつくられた4つの分子軌道 φ1φ4 と炭素の 2p 軌道の相互作用を考える。
 φ1φ2 はどの 2p 軌道とも有効な重なりをもたない。φ3 は 2px 軌道と,φ4 は 2py 軌道とそれぞれ重なりをもち,新たな軌道を形成する。2pz 軌道は分子面に対し反対称であるが,φ1φ4 はすべて分子面に対して対称なので,いずれとも相互作用しない。

以上の操作で最終的に得られる分子軌道は下図の黄色の領域に記述した χ1χ7 である。

以上の議論は CH3+ に限ったことではない。

CH3+ は価電子を6個もつので,χ2χ3 が HOMO(縮重している),χ4 が LUMO

BH3 は CH3+ と等電子数なので,HOMO,LUMO は CH3+ と同様

NH3 は価電子を8個もつので,χ4 が HOMO,χ5 が LUMO

H3O+CH3 は NH3 と等電子数なので,HOMO,LUMO は NH3 と同様

ただし,NH3,H3O+,CH3 では,χ4 に電子が入る結果,分子の形は平面形(D3h)よりもピラミッド形(C3v)のほうが安定になる。D3h から C3v に変化したときに各分子軌道のエネルギー準位がどう変化するかを定性的に示したのが下図である。

  • C3v 対称構造では,χ4χ5 の対称性が同じになり互いに混じり合うことができる
    χ4 には χ5 が同位相で少し混じる → χ4 のエネルギー準位は下がる
    χ5 には χ4 が逆位相で少し混じる → χ5 のエネルギー準位は一旦上がるが,3つの水素の 1s 軌道が同位相で接近することによる安定化と相殺される
  • χ1 では,3つの水素の 1s 軌道が同位相で接近することによる安定化に加え,χ4 との相互作用による安定化もわずかにある
  • χ2χ3 では,水素の 1s 軌道同士が逆位相で接近するので不安定化(水素の 1s 軌道と中心原子の 2p 軌道の間の同位相重なりが小さくなることでも不安定化)
  • χ6χ7 では,水素の 1s 軌道同士が逆位相で接近することによる不安定化と,水素の 1s 軌道と中心原子の 2p 軌道の間の逆位相重なりが小さくなることによる安定化が相殺する

どの軌道が HOMO,LUMO になるかで分子の形が D3h(平面形)か C3v(ピラミッド形)かが決まる。

最大ハードネスの原理
HOMO—LUMO 間のエネルギー差が大きいほど分子は安定

  • χ3 まで電子が入っている場合は,D3h(平面形)
    - CH3+,BH3
  • χ4 まで電子が入っている場合は,C3v(ピラミッド形)
    - NH3,H3O+,CH3

H3O+ の分子軌道(PM3 法により C3v 対称として計算)

※マウスドラッグで自由回転

 
上記の分子では C2v 対称
(X = ハロゲンならば,ハロゲンの p 軌道の関与も含める必要はある)

χ1χ7 の対称性を群論の記号で表現すると以下のようになる。

MOC2vD3hC3v
χ1a1a1'a1
χ2b2e'e
χ3a1e'e
χ4b1a2''a1
χ5a1a1'a1
χ6b2e'e
χ7a1e'e

※D3hσh 対称面はなくなる

一般に,構造変化に伴う分子軌道エネルギー準位の変化を図示したものを Walsh ダイアグラムという。

NH3 分子などがピラミッド形になることの説明に原子価殻電子対反発(VSEPR)理論が用いられることがある。この理論では,平面形よりもピラミッド形が NH3 の非共有電子対と3つの N–H の結合電子対の間の反発が小さくなるためと説明される(分子軌道論の言葉を使えば被占軌道間の相互作用による不安定化の程度が小さいということ)。しかし,実際にはフロンティア軌道相互作用による安定化が支配的であり,VSEPR の効果は副次的にすぎない。

H3O+ の生成熱(PM3 法による計算値)
C3v 構造:159 kcal/mol
D3h 構造:166 kcal/mol